映画史上、最高に美しい人工知能の名は「サマンサ」
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舞台は近未来のロサンゼルス。この映画の主人公、セオドア・トゥオンブリーは手紙の代筆屋として働いている。
このセオドア、妻のキャサリンと離婚調停中。友人たちはすっかり塞ぎ込んでしまった彼を心配してパーティーに招待したり、女性を紹介しようとしたりするが、それも彼の心を開くことなく、鬱屈した毎日を送っていた。
そんな彼が仕事帰りにふとした思いつきで買ったのが、直感的に会話し「認識し、あなたを理解する」が売り文句の人工知能型OS「OS1」である。このOSのインストールが、物語のはじまりになる。
OS1を初めて起動すると、自らをセオドアに「最適化」するためいくつかの質問をする。社交的かどうか、男性と女性の声どちらがいいか、母親との関係はどうか…。これらに答えると登場したのが「サマンサ」。この物語のヒロインでありAIである。
サマンサの声はスカーレット・ヨハンソン。ささやくような優しい声で、セクシーですらある。音響もほかの「人間の声」とは明確に区別された平べったい整音が施されているが、それが「存在しないのに、そこにいる」というサマンサの役柄上の切なさと魅力を増幅しているのだ。
ちなみに日本語吹き替え版では林原めぐみが声をあてている。これも良い。私の世代だと否が応でも綾波レイを思い出すが、そのイメージとも相まってサマンサの非存在性を際立たせる。
サマンサはパソコンやスマホがこなす仕事 ――メールチェックやアポイント、文章の校正などを普通にこなす一方、物語が進行するのと合わせて人間のような振る舞いを見せる。
もちろん、サマンサはOSである。しかし、観ているこちらも一瞬、サマンサがすぐ横に座っているような、横から「何の映画を観てるの?」と囁いてくるような、そんな錯覚にとらわれるほど「人間らしい」のである。
OSと人間の恋の物語
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シェイクスピアの昔から、物語を物語たらしめるのは ――それが悲恋を描いたものであればなおさら、そこにある「越えられない壁」である。
中世の世界を描いたシェイクスピアのそれは「身分の壁」であった。森鴎外は「舞姫」で「距離の壁」を描いた。現代作品では「時間の壁」や「生死の壁」を描いたものが両手からあふれるほどある。
身分の壁は社会制度が、距離の壁はテクノロジが壊した今、物語の核たりえる「超えられない壁」はもはや時間と生死くらいしかないのかもしれない。
そんな中で、この映画では「アンドロイドと人間の壁」のもっと先、「AIと人間の壁」を描く。タイムマシンも高性能なアンドロイドも出てこないだけに、今我々のいる現実と地続きの感覚があるのだ。
この恋の結果がどうなったか… はぜひ自分の目で確かめてほしい。
サマンサのようなAIは登場するか?