子どもが生まれて2年、目の前の育児に追われながらも、スクスク大きくなる子どもの姿を見て、時間の過ぎる速さに目を細める。
そんな中、いわゆる“ママ友”と話をしていた時に、そう遠からぬ未来に私も抱えるであろう悩みを突きつけられた。
彼女の上の子どもは小学生で学童に入っているという。学童は小学校6年生まで通えるものの、通っているのは小学校低〜中学年の子が中心で、高学年になるとほとんどの子どもが学童に行かず、自分たちで遊ぶようになるらしい。
もちろん、彼女の子どもも御多分に洩れず、高学年になってから子ども同士で遊ぶことが増えたという。子どもの自立は素晴らしいことだが、まだまだ幼く不安定な子どもたちが、自分や自分の知っている大人の目の届かないところで遊んでいることを考えると不安が絶えないそうだ。
彼女の深刻そうな顔を見て、2歳の我が子も、いつかは母親である私が関知できない環境に身を置くようになるのか…、と思いいたり、人ごとではないのだ、と血の気が引く思いがした。
私にとって“不可視”な子どもの時間にどう寄り添えばいいのか、を考えてみるものの無論、答えが出るわけもない。
そこで、記憶の奥底から10代前半、思春期真っ只中の記憶を引きずり出してみると、親に対して感じていた鬱陶しさを思い出し、過去に自分が向けた鬱陶しさの矛先が回り回って自分に向くことを実感し憂鬱になっただけだった。
憂鬱さを抱えつつ、「子ども 留守番」で検索をかける中で、子どもの見守りや寄り添いのためのケアロボットが複数存在する事を知った。
日本での活用事例はまだ少ないが、中国や韓国では実用化が進んでいるという。
中国が魅せる子どもとAIロボットのリアルな友情物語
子どもとAIロボットが共生する、というイメージは、多くのフィクション作品の存在もあり、人々にとって親しみやすいものであるように感じる。
例えば、国民的アニメの『ドラえもん』におけるのび太とドラえもんの関係は日本では広く知られているだろう。
ロボットが他者に寄り添い関係を築いていくストーリーを描くアニメーション作品は『ドラえもん』以外にもたくさんある(例えば、『ベイマックス』や『ウォーリー』などが挙げられる)が、特に、現代の延長線上にある近未来におけるロボットと子どもの関係を見事に描き出していたと感じた作品が『ネクスト・ロボ』だ。
『ネクスト・ロボ』は昨年、中国とカナダが合同で発表したロボットアニメーション映画。Netflixが中国国外での配給権を獲得するのに3000万ドル(約33億円)を支払ったと報じられたことで注目を集めたが、実際に見てみると映像としての完成度もさることながら、ストーリーやキャラクターも綿密に練りこまれており、一気に引き込まれた。
舞台は、人間とロボットが共生する近未来の巨大都市。主人公の少女、メイはロボットに夢中な母親と二人で暮らしている。
車から髪を梳くブラシまで、すべてのものにロボット、AI機能が搭載され、母親や友人たちはみな、かわいらしく、便利で正しいことしか言わないロボットに夢中だった。
その一方でロボット嫌いなメイは孤独を募らせていた。
ママって私よりロボットの方が好きだよね
『ネクスト・ロボ』
メイの切実な言葉も、ロボットに釘付けの母親には届かない。
そんなメイの前に現れたのが研究所から逃げ出した最新の高性能ロボット7723だ。
見たことのない形をして“バカ正直”な7723に初めは戸惑うも、7723が持っていた攻撃能力を見たメイはロボットを持たない自分をからかう友人たちをギャフンと言わせるために7723に近づいた。
しかし、共に時間を過ごす中でメイは徐々に7723に友情を感じるようになる。
筋書きは王道の友情ストーリーを描くが、ロボットを持たない主人公をからかう友人たちの排他性や暴力性、さらにロボット依存(現実ではロボットをスマホに置き換得られる)の大人たちの描写は、現実世界をうまく抽象している。
また、今作では、7723がロボットであるがゆえに癒しとなれるのだろう、と推察できるシーンも見受けられた。例えば、7723がAIならではの学習能力の高さによって孤立していたメイの気持ちをいち早く理解し、寄り添うことができたり、人間離れした(当たり前だが)客観性ゆえの意見を出すことで、メイと友人、家族の関係の潤滑油になっているように感じた。
ロボットによる癒しはあるのか?