億万長者、と聞いて真っ先に思い浮かぶ名前の一つが、ビル・ゲイツだ。
中学校の時にはじめてコンピューターに触れて以降、その魅力に取り憑かれた彼は、様々なシステムの開発に没頭。大学時代に最初期の個人向けコンピュータ「Altair 8800」のBASICインタプリタを開発したことをきっかけにマイクロソフト社を設立。同社は「Windows」など画期的なソフトウェアを次々に開発・販売し、巨大な帝国を作り上げた。
マイクロソフトの成長とともに資産を増やしていったビルは2019年現在、約1000億ドル(約10兆円)を保有している。
「個人向けコンピューターの時代」がやってくることを予見し、巨万の富を手にした彼は、到来しつつある「AIの時代」をどのように考えているのだろうか?
今回はビルの来歴から彼が見据える未来を紐解いていく。
母親との対立が経営者としての素養を育んだ。内向的で好戦的な少年時代
まずは、ビル・ゲイツとはどんな人物なのか、簡単に紹介する。
ビル・ゲイツの本名はウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世。ビルはウィリアムの愛称だそう。
父親のウィリアム・ヘンリー・ゲイツ二世は弁護士、母親のメアリー・ゲイツは出産後、さまざまな慈善活動を経て、ワシントン大学の理事長や企業の取締役を歴任するキャリアウーマンだった。
幼少期のビルは読書好きで内向的ながら、勝負事には熱を上げる極度の負けず嫌いで、負けると地団駄を踏んだり、時には対戦相手を怒鳴りつけたこともあったという。
社交的な母親、メアリーにとって、読書を理由に部屋に引きこもりがちで気に食わないことを我慢できないビルの性格は悩みの種で、家庭内で幾度となく対立を繰り返していたそうだ。
しかし、幾度とない話し合いやカウンセリングで徐々に和解、母親はビルの良き理解者になったという。そして、この母親からの説得が、のちにビルがビジネスの世界に羽ばたく中で大きく役に立つこととなる。
三度の飯より本が好きだったビルはシアトルの私立の名門中高一貫校、レイクサイド中学に進学し、そこで新たに熱中できる存在に出会う。
コンピューターだ。
レイクサイド高校には当時珍しかったコンピューターが置かれており、ビルは毎日授業が終わると高校の校舎へと走って行っていたそうだ。時にはコンピューターに触れるために大学の研究室に潜り込んだこともあったという。
この時ビルと共にコンピューターに夢中になったレイクサイドの仲間たちはのちに初期のマイクロソフトを支えるエンジニアとなる。
成功の始まりはちょっとした思いつきから。行動力で押し切ったマイクロソフトの第一歩
その後、ハーバード大学に進学したビルに大きな転機が訪れる。それが個人向けコンピューター「Altair 8800」の販売だった。
このニュースを聞き、ビルは「Altair 8800」向けのBASICインタプリタを作成することを思いついた。
またとないアイディアにビルはすぐさま行動を起こす。レイクサイドの先輩だったポール・アレンとともに、「Altair 8800」を販売していたメーカーのMicro Instrumentation and Telemetry Systems(通称、MITS)にまだ作成してもいないBASICを売り込んだのだ。
彼らからの突然の問い合わせに対しMITSの担当者は、「一番最初にAltair 8800のBASICを持ってやってきた人間と契約する」と回答した。
自分たちにチャンスが残されている、と感じたビルとポールは、水を得た魚のように日夜問わずプログラミングに取り組んだ。
期限はそう長くない、その上、当時Altair 8800の価格は1000ドル。一介の学生には手が出ない値段だった。
そのため、実機は手に入らず、彼らは代わりに手元のコンピューターでエミュレート(模倣)するプログラムを作成し、開発に取り組んだそうだ。
このように、極めて限られた環境下での開発だったが、驚くことに彼らはわずか8週間でBASICインタプリタを完成させた。
完成したプログラムを片手にポールがMITSに赴き、初めて実機でプログラムを動かした。
完璧だ。初回から完璧に動いた。
ビル・ゲイツ--「天才の頭の中: ビル・ゲイツを解読する」
晴れてビルたちはMITSと契約する運びになった。ビルとアレンが契約の際に用いたチーム名はMicro-Soft(マイクロ–ソフト)。
そう、これがマイクロソフトの始めの一歩だった。
困難を乗り越えWindowsが誕生