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スマートホーム(スマートハウス)の記事 2019.11.13

世界の歴史を変えた天才ジョン・フォン・ノイマンの天才的な逸話とは?その業績の光と影に迫る。

記事ライター:Yoshiwo Ohfuji

コンピューターの歴史を語る上で欠かすことのできない存在の一人がジョン・フォン・ノイマンだ。博覧強記の数学者だった彼の業績は多岐にわたり、コンピューターの動作原理を確立しただけなく、ゲーム理論の成立や原子爆弾の開発などにも貢献した。

また、コンピューターモデルやロボットで生命をシミュレートする「人工生命」の可能性を見出した一人としても知られている。

ここに挙げただけでも、ノイマンの果たした偉業の“すごさ”というのが伝わるかと思うが、その人物像はまさに“事実は小説より奇なり”を体現している。

例えば、幼児期から抜群の記憶力を発揮し、電話帳の開いたページに書かれていた番号を一瞬で覚え、その上書かれている電話番号の総和を暗算で求めた、だとか、6歳で古典ギリシャ語をマスターし、父親と冗談を交わしながら古典ギリシャ語がわからない他の家族を煙に巻いた、だとか…。

極め付けには、11歳のノイマンに数学を教えに来た数学者のガブリエル・セゲーの前で大学数学の問題を解いてみせ、その解法の鮮やかさにセゲーは感動して涙を流したという逸話まであり、その突出した天才っぷりを語るエピソードは枚挙にいとまがない。

今回は、20世紀の科学史に大きな影響を与えたノイマンの伝説の数々とその業績の光と闇に迫る。

ジョニーは小さな大天才。天才数学者の幼少期

見たものを一瞬で記憶し、鮮やかな発想力で歴史的な難問に挑む…。そんな数学者のイメージは、内向的で気難しく人嫌い、というのが定石だが、ハンガリーの上流階級の家庭で生まれ育ったジョンは意外にも社交的で自信たっぷり。また、すけべオヤジな一面も持ち合わせており、ジョンの秘書など共に働く女性たちはスカートに目張りをして覗かれるのを防いでいたという逸話もあるほど。
言い争いがはじまろうものなら得意の記憶力で溜め込んだ小話やジョークでするりと交わすなんて一面も持ち合わせており、アメリカに移住して以降、周囲からはジョニーという愛称で呼ばれていたそうだ。

※画像はイメージです

1915年にハンガリーのブタペストのユダヤ人資産家の家系で生まれたジョンは、幼少期から複数の家庭教師のもと様々な英才教育を受けていた。特に父親、マックスの意向で語学には力を入れており、幼児期から、ハンガリー語、ドイツ語、フランス語の英才教育を受け、さらに教養として、英語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語なども習得していたという。

ただ、運動や音楽の分野はからきしだったようで、フェンシング専門の教師を呼んだり、ピアノやチェロを習わせたそうだが、どれだけ打てど響かず、フェンシングの教師は根負け。音楽の授業を真面目に受けているかと思うと譜面台に本を隠し置き、楽器の練習するふりをして読書に没頭していたなんて話もあるほど。

エリート一家のおぼっちゃんとして様々な学問の端緒に触れた幼少期のジョンをとりわけ魅了したのが、数学と歴史だった。

素数や自然数など数字の性質の面白さに早々に気づいたジョンは、8歳の時には微分積分をマスター。数学書を介し、数学の奥深さにどんどんと引き込まれていった。

また、歴史書も好んで読み、特に全44巻からなるドイツの歴史家、ウィルヘルム・オンケンの『世界史』は大のお気に入りだったそう。渡米後には、特に気に入っていた南北戦争に関する章を古戦場の前で空で暗唱したという。
歴史書で培った知識を生かし、博物館デートなどの際は、専門家顔負けの詳細な解説で意中の女性を喜ばせていた、なんてエピソードもある。

抜きん出た才能を支援し、さらに伸ばす。年功序列にとらわれないエリート教育

“小さな大天才”ジョンは、10歳になるとブタペストのエリート養成学校ルーテル・ギムナジウムに進学。相変わらず音楽と運動は苦手だったそうだが、それ以外の科目ではトップの成績を収めていたそうで、若き才能がひしめく中でも頭一つ抜きん出ていたという。

そして、幸運なことに、ギムナジウムには、“異例”とも言えるジョンの才能を受け入れ、支援する環境が整っていたのだ。

特にギムナジウムの校長で数学を専攻していたラースロー・ラーツは、ジョンの数学への深い理解と好奇心を前にジョンの両親に以下のように直談判した。

「御子息にギムナジウムの数学を教えることは罪悪であり、大学レベルの数学を教えるべきです」
高橋昌一郎『ノイマン・ゲーデル・チューリング』

※画像はイメージです

こうして、校長はノイマンをブダペスト大学数学科の教授陣に引き合わせ、その中から特別講師を招致した。この講師というのが数学者のガブリエル・セゲーで、冒頭の「涙を流した」エピソードにつながる。

そして、教師陣だけでなく、彼の級友も素晴らしかった。特に、ジョンが終生交友関係を大切にしていたのが、一学年上にいたユージン・ウィグナーだ。ウィグナーは、のちに優秀な物理学者となり、1963年には「原子核と素粒子の理論における対称性の発見」でノーベル物理学賞を受賞した。

そんなウィグナーもジョンの頭脳には舌を巻いており、のちに「なぜ当時のブダペストからは天才が次々生まれたのか?」という質問を受けこう答えたという。

「その質問は的外れだよ。なぜなら天才と呼べるのはただ一人。ジョン・フォン・ノイマンだけだからね!」
高橋昌一郎『ノイマン・ゲーデル・チューリング』

こうして、ギムナジウムの仲間たちや教師陣に支えられ、在学中の17歳の時には初めての数学の論文を発表。優秀な成績を残し、首席で学校を卒業した。

数学のみならず計算機科学から気象学まで。ジョンが起こしたパラダイムシフトの数々

ジョンの数学の才能は火を見るより明らかだったものの、「数学では食っていけない」と考えた父親、マックスの意向を受け、ジョンはベルリン大学の応用化学科に進学した。しかし、試しにブタペスト大学大学院数学科の試験を受けてみたところ、まさかの合格。大学の応用化学科と大学院の数学科をかけもち、というまさかの展開になったのだ。

※画像はイメージです

無論、ジョンは、両方の学校で優秀な成績を出し、23歳で数学と化学そして物理の博士号を得た。

その後、ベルリン大学で講師を務めていたが、ユダヤ人迫害を推進するナチス政権の急激な影響力拡大を懸念し、1930年代に家族で渡米。現在、世界でももっとも優秀な学術研究機関の一つ、プリンストン高等研究所の立ち上げを受け、所員に選ばれ働くことになった。当時この研究所の所員としてアルベルト・アインシュタインや数学者のクルト・ゲーデルが名を連ねており、ジョンはここで多くの成果を出すことになる。

その一つが、現在のコンピューターの礎となる最初期の電子計算機、EDVACの開発だ。 特に現在のコンピューターの基本的な動作原理となるプログラム内蔵方式についての論文にはジョンの名前しかなく、この方式は今なお、「ノイマン型アーキテクチャ」なんて呼ばれることもある。
また、格子と単純な規則で動作するセル・オートマトンという計算モデルは、その後、気象学や生物学などの分野で様々な自然現象をシュミレーションの手法として活用され、DNA の自己複製の発見や、数式では表すことができない乱流の解析などの成果を上げた。

プリンストン研究所での彼の成果は数学や物理学だけでなく、計算機科学、経済学、気象学など多岐に渡り、様々な角度から人々の生活を変えるような成果を上げた。

異質な天才の末路。輝かしい人生に深く刻まれた影

ここまで輝かしいまでのジョンの経歴を紹介してきたが、この世のあらゆる事象と同様に、ジョンの人生にも光と影がある。

その影の最たる部分が原子爆弾の開発だ。

※画像はイメージです

当時、プリンストン研究所では、教授一人に年棒1万6000ドル(現在の価値で約15万ドル)という破格の金額が提示されており、その背景には、迫り来る大戦に向けた軍事研究を加速させる意図があった。ジョンも爆薬に関する研究の技術面の最高責任者となり、合衆国戦争局の科学顧問委員会の委員を歴任した。

そして、軍事研究の中でも特に重要度が高かったのが原子爆弾開発・製造のための「マンハッタン計画」だ。ジョンは科学顧問の一人として計画に参画し、開発を支えた。
また、原爆投下計画において、ジョンが「歴史的文化的価値が非常に高い」ことを理由に「京都への原爆投下」を主張したという記録が残されており、この事実と原爆開発への寄与について、ジョンは、今なお様々な批判に晒されている。

さらに、この計画に参画したことが、結果的にジョンの命を縮めることになる。

1946年のビキニ環礁における核実験に立ち会ったジョンは、1955年、51歳の時に膵臓がんと骨腫瘍を併発。核実験への立会いの際、多量の放射線を浴びたことが、がんの発症につながったと推察されている。

結局、ジョンは闘病の後、1957年に53歳で人生の幕を閉じた。

光と影、その両面でジョンは世界を変えた

ジョンの死後、1950年代のアメリカの核政策を決定したのはジョンである、という噂について、親友のウィグナーはこう答えたそうだ。

「全部が全部そうともいえないけど、どんな問題もフォン・ノイマン博士が分析すればたちまち先が見通せたのは事実ですね」
ノーマン マクレイ(渡辺 正、芦田みどり 訳)『フォン・ノイマンの生涯

※画像はイメージです

ジョンたちが開発した原子爆弾が多くの命を奪ったということは紛れもない事実である一方で、現在、ジョンが軍事研究に関わったことで戦争の終結が早まり、多くの命を救った、という見解を示す専門家も少なくない。

どんなことにも二面的な解釈ができるが、ジョンの存在は、光の面でも影の面でも世界を変えたことは、紛れもない事実なのだろう。

様々な負の側面を加味した上で、ジョン・フォン・ノイマンという才能が環境に殺されることなく、数々の業績と様々な伝説を残したことは、これからも多くの人の希望となるのだろう。

参考引用文献

  • 高橋昌一郎『ノイマン・ゲーデル・チューリング』
  • ノーマン マクレイ(渡辺 正、芦田みどり 訳)『フォン・ノイマンの生涯』
  • 杉本 舞『「人工知能」前夜――コンピュータと脳は似ているか』
  • ジョン・フォン・ノイマン - Wikipedia

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