2013年、アンジェリーナ・ジョリーが乳がん予防のための乳房切除を行った、というニュースが目に飛び込んできた。
彼女は、この大きな決断のきっかけとして、遺伝子検査の結果、BRCA1、BRCA2と呼ばれる乳がんと卵巣がんになりやすい変異遺伝子が見つかったこと、そして、彼女自身の母親も乳がんと卵巣がんを併発し、長い闘病の末、亡くなったことがあったそうだ。
この革新的なニュースは、当時20歳かそこらだった私に大きな衝撃と、未来の医療への希望を与えてくれた。
それから6年が経ち、遺伝子解析技術やAIによる情報処理速度の向上によって、検査は安価になり、以前のように巨万の富を持ったセレブだけではなく、一般人でも気軽にインターネットで遺伝子検査の依頼ができるようになった。
そうした中で、病に罹患する前に病を治す、というこころみは今後、医療現場でどんどん広がっていくだろう。
実際、昨年には、日本メディカルAI学会が立ち上がり、医療現場で活用されるテクノロジーは大きな期待を背負って加速度的に成長している。
このまま、順調にいけば、病が駆逐される日もそう遠くはないのかもしれない。
恒久的な健康が実現した先で苦しむ少女たちを描いた『ハーモニー』
この、真綿で首を絞めるような、優しさに息詰まる世界に徒(あだ)なす日を夢見る狂犬として。
伊藤計劃『ハーモニー』
夭逝のSF作家、伊藤計劃は遺作となった長編小説『ハーモニー』では、医療が発達した福祉厚生社会を描いた。
伊藤計劃は2007年に『虐殺器官』でデビュー。同作の刊行が決まった矢先に肺がんが発覚し、それからわずか2年でこの世を去った。寡作ながらも、『ハーモニー』で日本SF大賞、そして、フィリップ・K・ディック賞の特別賞を受賞するなど、国内外から高い評価を得ている。
『ハーモニー』の世界では、人間の体内に分子レベルで体内環境の恒常的な監視をするWatch Meというシステムと、体内で生じた異常に合わせてメディモルと呼ばれる分子サイズの薬を生成し、投薬するメディケア(個人医療薬生成システム)と呼ばれるシステムが設置されていた。したがって、この世界では、ほとんどの病気は駆逐され、人々には恒久的な健康が約束されている。
このように高度に発達した健康維持システムが成立、維持されている背景には、<大災禍>(ザ・メイルストロム)と呼ばれる大きな混乱の時代があった。北米を中心とする大暴動から端を発し、世界規模の戦争が生じたのだ。
そして、<大災禍>を乗り越えた人類たちを待っていたのは、混乱による人口減少と、少子化の波だった。人口不足の世界において、人々の体は希少なリソースであり、生きる人全てが、公共的な存在として社会によって管理する、という“生命主義”が社会の基盤として敷かれるようになった。
病や老衰や事故以外での死がなくなった世界で、主人公となる霧慧(きりえ)トァンは、公共的な身体として、社会に取り込まれた自分の体を取り戻すことを考える同級生の御冷(みひえ)ミァハに共感し、ミァハと友人の零下堂(れいかどう)キアンとともに、自殺を図ろうとする。
社会の鏡としての精神疾患