「シンギュラリティが到来する?」――到来しません。
AIが東大を目指す、というプロジェクトについて聞いたことのある読者も多いだろう。日本の国立情報学研究所が主導で「ロボットは東大に入れるか」をテーマに行われたプロジェクト、通称「東ロボくんプロジェクト」だ。
ロボットと言っても、それは一般へのわかりやすさを優先した言葉であって、メガネをかけた受験生型のアンドロイドが作られたわけではない。実際には腕だけの筆記ロボットである。
ご想像のとおり、このプロジェクトの主題は「ロボットが」ではなく「AIが」東大に入るだけの学力を身につけることが出来るかどうかにあった。
今回紹介するのは、その「東ロボくんプロジェクト」のリーダーだった新井紀子氏による著書だ。
日本でもっとも注目されたAIプロジェクトのリーダーによる本ということで、各界で大きな話題を呼び、大ヒット作となった。
その大ヒットの裏には、AIの可能性に大きく期待を寄せた人々の思いもあっただろう。何しろ、AIを東大合格並の頭脳へと育てようとした張本人である。きっと、AIの最先端、そして希望ある未来が見通せるに違いない…。
そんな期待を裏切って ――または安堵を与えるように、冒頭で著者はこう言い切る。
「AI が神になる?」──なりません。「 AI が人類を滅ぼす?」──滅ぼしません。「シンギュラリティが到来する?」──到来しません。
AIはしょせん「計算機」
数学者でもある新井紀子氏は、AIは所詮コンピュータであり「四則演算」しかしていないとその理由を説明する。
つまり、四則演算に変換できること ――著者の言葉を借りるなら「論理、確率、統計」という「数学の言葉」で説明できることしか表現できないところに、今のAIの限界があるというのだ。
たとえば、いまAIが身近で活躍している分野に画像認識がある。これは「人の顔」や「猫」、「いちご」といったモノの特徴をAIに徹底的に教え込み、それを統計的に理解する ――猫に特徴的なピクセル分布、輝度分布、境界線の形状などを捉えることで「これは猫らしい」とAIが判断する、という手順を踏んでいる。
なので、AIには「写真に写り込んだポスターの中の猫」も「写真の中央に写っている人物が抱いている猫」も同じく「猫らしい」モノ、としか判断できない。また、極めて猫に似ている「子供のライオン」や「精巧に作られたぬいぐるみの猫」も同じように「猫らしい」モノとして判断する。
ここが我々との大きな違いだ。
たとえば「送る相手が猫好きだから、猫の写っているポストカードを買ってきて」と頼まれて、以下の2つのデザインのポストカードが店頭にあったら、どっちを選ぶだろう。
AIはどちらにも「猫が写っている」と自信満々に答えて両方買ってくるだろう。不正解ではない。
たしかに、1枚目は猫が写ってはいるが、これは「猫の写ったスマホを持った写真」であって「猫の写っている写真」とは言わない。猫好きの相手に送るポストカードなら、正解は2枚目だ。この判断が、AIにはまだまだ難しいのである。
それは、我々にとっては簡単なこの判断の裏には、「常識」という非常に複雑なアルゴリズムが隠れているからだ。
その「常識」を数学の言葉に置き換えることが出来るようになるまでは ――現在ではその目処も立っていないが―― AIが人間をほんとうの意味で「越える」ことはないと著者は言っている。
教科書が読めない子どもたち
しかし、読者のみなさんもご存知のようにAIのほうが優れているといえる分野もある。たとえばチェスにおいてAIが人間を超えてからはもう久しいし、将棋も勝率が上がり続けている。
ここまで読むと分かると思うが、チェスにしろ将棋にしろ、AIにとっては「数学の言葉」で理解できる問題なのである。どちらも「棋譜」が大量に存在しており、データを分析すればするほど、「勝ち方」の推論が確かになっていくからだ。
話を「東ロボくん」に戻そう。
実際のところ、東ロボくんは東大には今のところ入れないし、入れる目処も立っていないという。事実、2016年にこのプロジェクトは終了している。
失敗だったのだろうか?違う。AIの限界を世間に知らしめ、また「正しい危機感」を教えられたことに大きな意味がある。
本書の第一の主題がこれまで解説してきた「AIの仕組みと限界」で、第二の主題がこの「正しい危機感」だ。
東ロボくんの最終的な学力は以下のとおりである。
5 教科 8 科目 950 点満点で、平均得点の 437・8 点を上回る 525 点を獲得し、偏差値は 57・1 まで上昇しました。
偏差値 57・1 が何を意味するのか、合否判定でご説明します。全国には国公立大学が 172 あります(模試時点での大学コード発番数)が、東ロボくんはそのうち 23 大学の 30 学部 53 学科で合格可能性 80% の判定をいただきました。思わず、ガッツポーズがでるレベルです。
私立大学は 584 校あります。短期大学は含みません。そのうち 512 大学の 1343 学部 2993 学科で合格可能性 80% です。学部や学科は内緒ですけれど、中には MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)や関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)といった首都圏や関西の難関私立大学の一部の学科も含まれていました。両拳を突き上げたくなるレベルです。
高校生にしてみれば、十分に「負け」の可能性がある数字である。読者も、自分が大学受験をしたときの偏差値を思い出してほしい。統計的に言えば半数以上が「負けている」はずである。
人間的な ――と我々が呼ぶ複雑なアルゴリズムを理解できずとも、偏差値57までは到達するのだ。
そしてさらに、著者が各機関の協力を得て全国の高校生向けに行なった「RST(Reading Skill Test)」では教科書を正しく読めていない高校生が半数以上もいたという結果が出たという。
恐れるべきはシンギュラリティではなく現実
この結果が何を意味するか、おわかりだろうか。
いま、世で騒がれているシンギュラリティの恐怖は、すなわち「仕事を奪われる」ことである。その点については、AIが人間的な(と我々が読んでいる)能力を獲得することは今のところ―― なにか数学の根底を覆すような大発見なしにはありえないと著者は断言している。
しかし、その「人間的な」能力が欠如しつつあることも同時に示しているのだ。
つまり、たしかにAIに奪われない仕事は存在するが、そこに求められる「機転」や「臨機応変」「柔軟さ」といった人間的な能力を底支えする読解力なしに、人間がAIよりも優れた存在であることは難しいと著者は警鐘を鳴らしているのである。
そう、恐れるべきはシンギュラリティではない。
シンギュラリティを待たずして、いま目の前の現実が私たちの存在を脅かしているのだ。
本書には、ここまでに解説してきたことについての数字的な裏付けやエピソードも多く含まれる。ぜひ手にとって読んでみてほしい。
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