近い将来、現実世界(リアルワールド)にある全ての場所やモノ──全ての道路、街灯、建物、部屋──の実物大のデジタルツインがミラーワールドに存在するようになる。いまはまだ、その片鱗をARヘッドセットを通して見ているに過ぎない。ひとつまたひとつと、ヴァーチャルな断片が縫い合わさり、ついには現実世界のパラレルワールド版として、開かれた永続的な場所が形づくられるのだ。
ケヴィン・ケリー「ARが生み出す次の巨大プラットフォーム」
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もうすぐ5Gの時代がやって来る。
超高速通信、超大容量、超低遅延、多接続のこの新たな通信システムは、様々なモノのインターネット接続を可能にし、今後私たちの生活の中のあらゆる動作を即座にデジタル化する。
現実の世界のすべてのものにその対となるコピー(デジタルツイン)を持つとき、そこには現実世界によく似た、新しい世界が生まれる。
私たちが垣間見ることができる新しい世界の誕生を前に、私の想像力はこんな可能性に行き着く。
ミラー・ワールドは単なる世界のコピーではなく、そこにうごめいている何かがいるかもしれない。
ディズニーが描き出すバーチャル・ワールド
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ヴァーチャル世界の中の私たちには見えない営み、に対する想像力によって制作された作品がある。それが2012年に公開されたピクサーの3Dコンピュータアニメーション映画『シュガー・ラッシュ』だ。
主人公は架空のアーケードゲーム「フィックス・イット・フェリックス」に登場する悪役のラルフ。彼は悪役として人々に疎まれる自分の立場に疑問を覚え、「ヒーロー」になるべく、「フィックス・イット・フェリックス」の世界を飛び出し、ヒーローの証である「メダル」を手に入れるため他のゲームに侵入する。メダルを手に入れる過程でゲーム「シュガー・ラッシュ」の世界でつまはじきにされていたヴァネロペと出会い、友情を深めていく。
この作品の肝とも言えるのが、『シュガー・ラッシュ』の世界で、キャラクターたちが抱える与えられた役割に対する葛藤や諦観だ。生まれながらに悪役として疎外されているラルフの悩む姿に社会の中で与えられた役割に悩む自分自身に重ねてみたのは、私だけではないだろう。
さらに続編の『シュガー・ラッシュ:オンライン』では、舞台をゲームセンターからオンラインに移すのだが、ここで描かれるインターネット世界がとてもすばらしいのだ。
TwitterやLINEなどのインターネットサービスの一つ一つがビルとして描かれ、大きな都市を形成していく。ビルの高さはサービスの数を反映していて、古いサービスに新しいサービスが上乗せされることで高さを増していく。
リアルな大都市の中で共感できるキャラクターたちの営みを見ていると、あたかもそんな世界が本当にあるのではないか、というような錯覚を覚える。
そして仮想世界に可能世界を幻視するとき、世界に対するさらなる疑いが芽を吹く。
「この世界自体が何者かによって作られた仮想世界なのではないか?」
シミュレーション仮説とマトリックス
人間が生きているこの世界こそがシミュレーションである、という仮説をシミュレーション仮説という。この思考実験に取り組む人は少なくなく、テスラ社のCEO、イーロン・マスクなどもこの仮説の支持者の一人だという。
そして、シミュレーション仮説をベースにしたフィクション作品として代表的なものが『マトリックス』だ。
あらすじは以下。
キアヌ・リーブス演じるハッカーのネオは、ある日、自分のコンピューターに何者かがハッキングを仕掛け、メッセージを送ってきたことに気づく。そして、そのメッセージの送信者であるトリニティと出会ったことをきっかけに、彼が現実世界だと思っていたものが機械が作り出した仮想空間であることを知り、さらにネオこそが機械から人間を取り戻す”救世主”であることを知る。様々な葛藤の末、ネオは機械を倒し現実世界を取り戻す戦いに向かっていく…。
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今作の「機械によって構築された仮想世界で仮初めの日常を送る人類」という世界観はまさにシミュレーション仮説そのものといえる。
今年で公開20周年をむかえる『マトリックス』だが、作中には「シミュレーション仮説」のみならず、様々な思想的、哲学的な問いに満ち溢れ、映像やストーリーも相まって、今なお色褪せることがない魅力を持っている。
とりわけ、作品内に登場する私たちが今いる現実(だと思っている)世界に限りなく近い”仮想空間”と、人々が大きなカプセルに封入され機械を動かすためのエネルギー源として搾取される”現実世界”の対比は、視聴者に大きな衝撃を与えたのだ。
フィルターバブルの中の現実世界
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現実とは何だ?“現実”をどう定義する?
『マトリックス』
『シュガーラッシュ』において、主人公のラルフは、人間たちが与えた役割に抗いながらも折り合いをつけた。一方、『マトリックス』では、救世主ネオが偽りの世界を構築する機械を打破するべく仲間と共に戦った。そして私たちもまた、新たな世界の到来の前に”現実”との付き合い方について考えなくてはならないだろう。
今やインターネット上には一人の人間が取り扱うには膨大すぎる情報が浮遊している。そうした中で検索エンジンやSNSでサジェストされる投稿は最適化され、私たちは自分たちにとって最も都合の良い情報ばかりを受け取れるようになった。
便利で心地よいフィルターバブル。しかし、その外側に広がる世界にきちんと目を配ることはなかなか難しい。
例えば、先日の参議院選の時の話だ。
選挙の直前、私のTwitterのタイムライン上には選挙での投票を呼びかける芸能人や著名人のツイートや今回の選挙の要点をまとめたようなツイートが並んだ。さらに、投票に行けば商品がお得に買えたり、割引でサービスを受けられる「選挙割」を表明する店の情報なども流れてきて、私は、「今回の選挙の投票率はすごく高くになりそうだな」なんて考えていた。
しかし、蓋を開けてみれば、今回の参議院選の投票率は50%を割り、戦後二番目に低い48.8%という結果に至った。
日常的に触れている情報から得られた実感とはかけ離れた結果に、私は、私が見ていない世界の広さを突きつけられたのだ。
私が生きる”現実”の中で目に入らないし、意識することはないけれど、要所要所で私の生活に影響を与える、見えない広い世界がある。さらに、技術の発達で、デジタルの中に構築された新たな世界がさらなる拡大を続け、相対的に、個々人が見る”現実”は縮小していくだろう。
そうした状況において、自分に見える”現実”の中で意識することのない”現実世界”かとどう対峙するかについて、常に自分の中で答えを探し続ける必要があるだろう。
フィクションの中から自分の思想や振る舞いを掬い出すことはきっと、その答えを探すいい補助輪になってくれるだろう。